[石川旅行]百の頂に百の喜びあり。白山の麓・加賀市と深田久弥山の文化館

こんにちは! 先週末に家族で石川県へ旅行に行っていた、タクロス(@KTacross)です。

金沢市内と千里浜なぎさドライブウェイの観光を終え、一路西へ。

この日宿泊したのは温泉や九谷焼で有名な、石川県最西端の街、加賀市です。

加賀市

実はこの街は、僕が愛読する日本百名山の著者・深田久弥の生地であり、貴重な資料を展示する記念館がある場所です。

日本の登山好きなら避けては通れない、深田久弥の足跡。

「深田久弥 山の文化館」と、彼が生まれ育った加賀市大聖寺の街並みをしっかりと目に焼き付けてきましたので、ご紹介させて頂きます!

1. 深田久弥はこんな人

深田久弥 - Wikipedia
深田久弥 山の文化館HPより

「日本百名山」の著者であり、無類の山好きとして知られた深田久弥は、1903年に加賀市大聖寺町に生まれ、「オロッコの妻」などの小説で脚光を浴び、川端康成小林秀雄らと共に「鎌倉文士」として活躍します。

日本百名山で有名な深田久弥ですが、最初から登山家としてではなく、小説家としてデビューしていたんですね。

小説執筆の傍、趣味の登山についての紀行文を書いたり、高浜虚子に弟子入りして俳句を学んでいたりと、多才な人物でもあります。

61歳の時に出版した「日本百名山」が大ヒットとなり、その後は新聞社の協賛でヒマラヤに登ったり、シルクロードを旅したりという冒険味溢れる生活を送りますが、68歳となった1971年に、山梨県の茅ヶ岳登山中に脳卒中で急逝しました。

今年(2019)は没後48年、もし生きていれば116歳となる昭和時代の作家です。

2. 加賀山中温泉と九谷焼体験

僕は高校時代に山岳部の主将を務め、高校を卒業し大学生や社会人になっても時間を見つけては山に登り続けて来ました。

読書好きということもあり、日本百名山だけでは飽き足らず他の深田さんの山岳紀行にも手を伸ばしたところ、自然を鮮やかに描いた文章に魅力を感じ、全集を買って読み漁ったり、百名山以外の深田さんが登った山に登ってみたりということをしていました。

メルカリで4000円で手に入れた山の文学全集

なので加賀市の「深田久弥 山の文化館」には是非一度訪れてみたい、いつか白山登山の際に寄って帰りたいなどと計画を立てていたのですが、今年のGW旅行で妻が金沢に行きたいと言い出したことと、会社の後輩が「加賀温泉の料理が豪華でとても良かった」という話をしていたことを踏まえ、家族を説得し無理矢理旅行計画に組み込んだのでした。

料理が豪華だという加賀温泉。今回選んだのは子供も喜ぶディナーバイキングが楽しめる旅館です。

【公式】セレクトグランド加賀山中【温泉ホテル予約】
石川県加賀市、山中温泉の「セレクトグランド加賀山中」公式ホームページです。「セレクトグランド加賀山中」では、ご宿泊・お食事・温泉をお楽しみいただくことができ、ビジネス・観光の拠点に便利です。

複数箇所に分かれている加賀温泉の中でも一番山奥にある、山中温泉。

深田久弥が最初に登った山として挙げている富士写ヶ岳のふもとにあたります。

日本海で獲れた新鮮な魚介類など、美味しい料理に大満足!

食事の後は温泉にも入浴! 単純泉ですが渓流の見える露天風呂は開放感抜群です。

…納得の宿泊を終え、翌朝向かったのは加賀市の大聖寺駅前。

僕が山の文化館を訪れているうちに、山に興味のない家族は九谷焼の体験工房で絵柄入りの皿を作成することになりました。

らくやき体験工房へようこそ
らくやき体験工房は陶芸愛好家の皆様にいつでも自由に作陶を楽しんでいただきための工房です。一回だけの体験コースや本格的な会員 コースがあります。窯入れの日には自分で火を焚き作品を出し入れします。30分で完成するらくやき陶芸をお楽しみ下さい。

こういう体験型の観光は今までしたことがなかったので、子供たちは大喜び!

上…息子作、右下…娘作、左下…妻作

焼き上がった作品は後日郵送されるということで、完成が楽しみです。

3. 深田久弥 山の文化館を見学

家族が九谷焼体験を楽しむ一方、僕は一人で念願の文化館へ到着。

深田久弥山の文化館

もとは絹織物工場の建物だったという、歴史を感じさせる建物の門を潜ります。

受付を訪ねると学芸員らしい男性に丁寧な説明を受けました。

深田久弥に縁ある品物が置いてある展示室への渡り廊下の途中に、去年できたばかりだという図書室がありました。

入口の上には九山山房の文字が!

九山山房は生前の深田久弥が自宅の離れに立てた、山関係の資料を集めた書斎の名前です。

中には寄贈された貴重な山に関する資料が並べられていました。

これは深田久弥が戦前に20座まで執筆していた「日本百名山」の原型となるもの。

現在の百名山には選出されていない、湯の丸山などの山名が見てとれます。

こちらはイギリスの山岳会が発行していたアルパイン・ジャーナルという雑誌。

相当古い雑誌のようで、表紙はフニャフニャ、開くとページがくっついていてバリバリ音を立てました。

こんな貴重そうな文献に触っていいの!? おっかなびっくり元の棚に戻します。

そしてこちらのラジカセでは、深田久弥の肉声を聞くことができます!

[QuestBlog]深田久弥 山の文化館で聴ける深田久弥の肉声

1971年に録音する技術って存在したんですね!

初めて聞いた深田久弥の声は写真から想像していたものとそれほど変わらず、文学と山を愛するおじいちゃんが楽しそうに講演する様子が伝わってくるものでした。

そしていよいよ展示室へ。渡り廊下を進みます。

入口には深田久弥の来歴と、ヒマラヤ探検の記録DVDが鑑賞できるコーナーが。

中へ進むと書籍や写真など、深田久弥に所縁のある品々が展示されています。

鎌倉文士時代に執筆した、深田久弥の小説の数々。

僕はまだ未読ですので、一度読んでみたい…。

展示物で最も目につくのが、このピンク色のダウンジャケット。

1966年に中央アジア探査に行った時に着ていたものだそうです。

今から50年も前にダウンジャケットがあったなんて知りませんでした!

深田久弥が登山に行っては自分の通ったルートを赤鉛筆で記入していたという、国土地理院地形図。

彼の山に関する文章の中には何度も地図に赤線を入れる描写が出てきます。

こちらは探訪予定だったエベレスト付近の氷河が描かれた地図。

深田久弥は急逝の1か月後に、2度目のヒマラヤ探訪を予定していました。

晩年はヒマラヤ研究家として多くの功績を残した深田久弥は、この地図を書斎の壁に貼って出発の日を楽しみにしていたそうです。

深田久弥本人が山で使用していたというコッフェル。使い込んだ跡が見てとれます。

当時はテントも調理器具も今とは比べ物にならないほど重かったことでしょう。

現在の登山ではあまり携行することのない、腰皮と気圧計。

腰皮は雪山で転倒しても尻を汚さずに済むと、全集のどこかに書かれていました。

壁に立てかけられていたスキー板。

深田久弥は無類のスキー好きで、彼の山の文章には何度もスキーの描写が出てきます。

これはテレマークスキーでしょうか? 当時はアザラシの皮をソールに貼って滑り止めにしていたそうです。

ヒマラヤ探訪の際の写真だそうです。

深田久弥を隊長とする日本人4人は、3人のシェルパと100人を超えるポーターと共にヒマラヤのランタン・ヒマールとジュガール・ヒマールの2山を探訪し、その旅行記は全集にまとめられています。

その中でポーターの少年が一人だけ美少年で皆と違うおしゃれな服を着て…という描写があるのですが、その少年の写真は残っていないんでしょうか。

こちらは中央アジア探訪の際、当時のソ連領地内でガイドとして共に行動した女性の写真。

全集の中で「共産国の女性は決められたこと以外は決して口を割らない云々…」といったような描写があったので、どんな女性かと思っていましたが、随分と美しい女性だったようです。

紀行はみずみずしい文体で綴られ、旅の楽しさがこちらに伝わってくるものでしたが、冷戦中の厳しい時代に、このような旅をするのは想像以上に大変なことだったことでしょう。

石川県内の日本二百名山・笈ヶ岳登頂時の写真。

日本百名山を執筆当時、笈ヶ岳には登山道が整備されておらず、深田久弥はこの山を未登頂だったため除外したという記述があります。

日本百名山出版後、彼は百名山に入れられなかった山にお詫びをするかのように、笈ヶ岳のように登頂できていなかった山に後日登頂した時のことについての記述を数多く残しています。

もし彼があと数年生きていたら、百名山の差し替えが行われていたかもしれない…。

そんな叶わぬ夢を見ながら百名山から漏れた山に登るのも、深田ファンには楽しいことです。

今ではパソコンで修正しながら書き上げることができますが、当時は原稿用紙に手書き。

深田久弥は山の描写は簡単なものではないと、その著書の中で何度も語っています。

どんな瀟洒な文章で着飾っても、実際に目の前に広がる絶景には到底勝てないと。

原稿用紙からは彼の苦悩と、山の表現へのこだわりが感じられました。

たっぷり1時間以上展示室を細かく見学して、写真もたくさん撮らせて頂きました。
(撮影許可は学芸員の方に頂いています)

深田久弥の文章を知っていればいるほど楽しめる構成になっている展示室で、学芸員さんのこだわりと、深田久弥への愛情が感じられました。

展示室を出ると外には深田久弥の句碑が。

「九山」という俳号を持つ彼の俳句はどれも山への愛情が感じられます。

受付で販売していたDVDは、なんと800円! 安い! 迷わず購入しました。

深田久弥の人生がわかりやすく記録されていて、いい記念になりました。

あんまり熱心に見学していたところ、学芸員さんから深田久弥の文献の出典がまとめられた資料を、誤植のため販売できなくなったというクリアファイルに入れてプレゼントされましたw

さて、どこが間違っているでしょうか? 2か所あるそうですよ!

学芸員さんには限られた時間の中で丁寧に解説して頂き、本当に感謝しています。

時間があればお酒を飲みながら語り明かしたいくらいでした!笑

4. 深田久弥の育った町、大聖寺を散策する

さて、ここ大聖寺地区には文化館の他にも、深田久弥ゆかりの場所が数多くあります。

まずは深田久弥生誕の地。

深田久弥は製紙と印刷を営む家庭に生まれ育ったということで、印刷所跡が今も残っています。

大聖寺地区は武士が多く住んでいた歴史ある町だそうで、街並みも情緒溢れるものでした。

こちらは深田久弥が通っていた小学校の正門前。

日本百名山の「白山」の中に、小学校の正門から白山が見えたという記述があります。

これが正門からの白山。

当時は電線も無かったでしょうから、もっとはっきり白山を眺めることができたことでしょう。

大聖寺は城下町だったということで、町の西側には城跡が残っています。

深田久弥もこの城跡で遊んで山登りの脚力をつけたのかもしれません。

東丸方向へ細い階段道を登っていくと…

見晴らしのいい場所に、日本百名山発刊50周年記念碑が建てられています。

恐らくここから見る白山が、大聖寺では最も美しく見えるのではないでしょうか。

この日は朝から快晴で、見事な白山を望むことができました。

駐車場から5分ほど登るだけで到着しますので、観光の際は是非訪れてみて下さい!

城跡から南に少し歩いたところにある全昌寺には松尾芭蕉の句碑と並んで深田久弥の句碑が。

入場500円ですが、句碑だけ見たいと伝えたら無料で入れて頂きました!

こちらは江沼神社境内にある歌碑。

山の茜を顧みて
一つの山を終りけり
何の俘のわが心
早も急かるる次の山

という、有名な詩が記されています。

本光寺の奥にある、深田久弥の墓所。

墓石には「読み 歩き 書いた」と記されています。

しかしこのお墓、ぎりぎり白山が見えないところに建っています。あと2m高ければ…。

山が見えると登りに行ってしまうからという、家族の計らいでしょうか?

5. まとめ

いかがでしたか?

山の文化館付近には流し舟も

大好きな深田久弥のこととあって長めの記事となってしまいましたが、彼の魅力が少しでも伝わってくれれば幸いです。

深田久弥は故郷の大聖寺を誇りに思っていたということですが、確かに元城下町らしい美しい街並みが残り、歩いているだけで歴史を感じられる町でした。

生家近くの風情ある鐘?

関東からは距離があることもあって、なかなか足の伸びない加賀市ですが、素晴らしい温泉と美味しい料理、そして深田久弥の愛した白山や美しい加賀の山々を望めるこの町は、どこか懐かしさを感じることのできる場所でした。

山好きでなくても九谷焼体験などもできますので、一度足を運んでみてくださいね!

  

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